2023.02.11 Omiaiレポート

古典落語の恋愛観~①落語家・桂枝之進が語る、古典落語の恋愛観

全2回に渡ってお届けする「古典落語の恋愛観」、今回は第1回です。

古典落語をモチーフにした米津玄師の楽曲「死神」が話題となり、今、Z 世代も注目している落語の世界。
今回の Omiai Report では、老若男女を惹きつける落語の魅力について恋愛視点で切り込んでみました。ご登場いただくのは、Z 世代の視点で落語を再定義し、オリジナルのコンテンツを発信するクリエイティブチーム「Z 落語」主宰・桂枝之進さん。
さらに後半では、女流落語家・金原亭杏寿さんとの対談企画も!今と昔の恋愛観を、噺家ならではの視点で語り合ってもらいました。

古典落語の恋愛観

「Z 落語」を主催する、若干 21 歳の気鋭落語家として注目を集める桂枝之進さん。
噺家、そして Z 世代のクリエイターとしての視点から、今も色あせることのない古典落語の恋愛観について語ってもらいました。

落語家

桂枝之進(かつら・えだのしん)

2001年、神戸市生まれ。2017 年1月、15 歳で三代目桂枝三郎に入門。12 月には、枝三郎六百席にて初舞台に上がる。2020 年 8月に、
落語クリエイティブチーム Z 落語を立ち上げ、Z 世代の視点で再定義した落語を発信している。

ー枝之進さんは、同世代にも落語の魅力を伝える活動を続けていますが、どのような声を耳にしますか?

落語の第一印象って、「難しそう」「古典・伝統的」というイメージが先行しているんです。でも、実は落語って、システムが違うだけで漫才と同じ大衆芸能なんですよ。
漫才はボケとツッコミがセンターマイクを挟んで掛け合いをする芸能で、落語は噺家が着物を着て座布団に座って話をする芸能。
ただ、形が違うだけなんです。面白い、面白くない、どの漫才師、落語家が好きかって、それは好みの問題ですよね。

ー古典落語が Z 世代にもウケている理由はどこにあると思いますか?

きっと、300 年前も今も笑いのポイントが変わらないからだと思います。
古典落語はどの時代にも通じる普遍的なテーマが題材なので、裏を返せば 300 年後もきっと面白いはず。そこまで時空を飛び越えてフラットに楽しめる芸能は、他にないのではないでしょうか。

ー古典落語と新作落語では、何か違いはあるのでしょうか?

古典落語も昔は新作落語でしたし、今の新作落語もいつかは古典落語になる。だから、僕はどちらかというと古典も新作もないと捉えています。
「Z 落語では新作をやるんですか?」とか、「古典にこだわっているんですか?」と聞かれることがありますが、落語は落語として、大衆的なものとして残ってくれたらいいなと思っています。

僕が古典落語のパッケージを変えて、今の世代に新しいものとして落語を見せたところで、落語を聞いたことがない人にとってはどちらも同じ。つまり、古典を知らなければ、それはその人にとっては新しいものなのです。

ー Z 世代の価値観や恋愛観については、枝之進さんはどのように感じていますか?

恋愛について周りを見ていて感じるのは、すごくカジュアルですよ。トレンディードラマのような大恋愛って、同世代の人はあまりしていない気がします。
付き合うきっかけも、それこそマッチングアプリだったりするので。ひと昔前と比べたらだいぶカジュアルになったのではないでしょうか?恋愛が人生の中の大きなイベントっていうより、日常的なものになっていると思います。感覚的にすぐ出会えるチャンスがあるって感じ。

どこにいるのかもわかるし、連絡だって LINE などですぐ取れるし、スマホなどのガジェットやアプリを通して、世の中が便利になりすぎていてすごくライトになっている感覚はありますね。
出会おうと思えば出会える環境を、みんなが平等に持っているんです。行動するかしないかは別として…。

だから出会いが全くないということはないんですよ。
その代わり、ひと昔前のように、相当な情熱を持って出会いを探すガッツはなくなってきているかな?出会うまでの過程は明らかに変わったんだろうと思いますね。

ーそういう Z 世代の恋愛観と古典落語の恋愛観で、違う部分と似ている部分はありますか?

古典落語って、恋愛の噺や嫁入りの噺などいろいろな噺があるんですけど、総じてものすごくピュアなんですよね。
今の時代から見ると、みんなすごく純粋なんですよ。特に上方落語(※)の場合、基本的に主人公はみんなアホなんです(笑)。

例えば『ろくろ首※①』という噺では、主人公が「嫁さんを紹介してやる」と言われて喜ぶけど、相手が夜中に首が伸びるろくろ首だったというオチなんです。
でも純粋だから怒らず、不思議とお笑いになるという優しい世界なんですよね。そんな、ハプニングが起きても揉めることなく柔軟に楽しめる純粋さが、今の時代の恋愛にもっとあってもいいのでは?と思います。

※上方落語 … 大阪や京都で生まれ、関西言葉が使われる落語。
見台を扇子で叩いたり、三味線や太鼓などの楽器(ハメモノ)を鳴らす、賑やかな演出が特徴。一方、東京で生まれた落語は江戸落語と呼ばれる

解説コラム ①ろくろ首
母親と2人暮らしの男に、縁談の話が持ちかけられる。相手の娘はべっぴんだが、実は夜になると首が伸びる妖怪ろくろ首。
ところが、男は「夜は寝ていて起きないから、首が伸びる姿を見ることはない」と、のん気に縁談を受けることにした…。
現代に例えるなら、プロフィール写真が加工だとわかっていても、期待してしまう男のポジティブさ!?

ー好きな相手を探すときの気持ちは、古典落語も現代も同じだと思いますか?

時代が変わっただけで、やっていることは変わらないと思います。
マッチングアプリにせよ、お見合いにせよ、嫁さんを探す噺も、やっている人たちの目的も感情も変わらないですよ。

めちゃめちゃ変わったのってツールやシステムだけで、それぞれ生きていて求めていることや感情って、何百年前からたいして変わっていないと感じます。だから、落語の笑いどころも変わらないんですよね。

ーでも時代ごとに恋愛の背景は変わりますよね?我々が知らない時代=古典落語で描かれている恋愛は、どう楽しめばいいのでしょうか?

時代ごとの世情を映している噺はたくさんあります。
古典落語と新作落語の区別も難しくて、大正時代にできた落語とか昭和初期にできた落語だと、古典なのか新作なのか判断しづらい結構ギリギリのラインだと思うんです。
令和の今からすると古典かな?と思えるぐらいのレベルなんです。

例えば、戦争で離れ離れになってしまった恋人同士が、戦後に出会うみたいな落語があったり。「この時代の恋愛ってこんな感じなんだな」みたいな、タイムスリップ的な楽しみ方はあると思います。それは、シティポップミュージックの楽しみ方に近いかも。

今、80 年代のシティポップが流行っているのも、僕たち世代が知らない「日本のいい時、輝いている時」が詰まっているからなんですよね。
「あの時代の日本って、こんなキラキラしていたんだ。元気だったんだな」って、何かキラキラしたものを感じて惹かれるから、リバイバルしているんだと思います。

ー古典落語で描かれる恋愛は、どんな噺が多いのでしょうか?

昔も、男女が出会うことはすごく難しかったんです。しかも、落語に出てくる主人公は、モテない要素がいっぱい詰まっているようなヤツが多いんです(笑)。
「モテたい」というモチベーションは持ち合わせているので、いろいろなことにチャレンジするんですけど、いつも空回りなんですよね。出会うまでのハードルも高くて、出会ってからも上手くいかない。

そういう人って、逆に愛おしく感じません?アグレッシブに頑張っているのに上手くいかないので、応援してあげたくなります。
しかも、今なら SNS やマッチングアプリといった、前に進むきっかけがたくさんありますよね。昔はそういうツールが当然ないので、奇抜なアプローチの方法を考えたり、1 人で悩んだりするのも古典らしいポイントだと思います。落語の恋愛って純粋なんですよ。

ーそういうピュアな恋愛って、枝之進さんは今の世代にも通じると思いますか?

あり得ない世界観でも、心に響くものはあると思うんですよね。本当にめちゃくちゃ好きで、ずっと片思いをしている人って、今の時代は希少。
高座で話していると、古典落語の恋が実った瞬間、みんなめっちゃ応援しているムードを感じます。なんか尊いですよね。

マッチングアプリや SNS でライトな恋愛を繰り返しているから、本当に燃え上がるような恋愛や心から落ち着けるような関係を、一周して求めているとか、そういう感じではないでしょうか。古典落語のアホで純粋な恋愛を見たら、めっちゃ共感できると思います。

ー古典落語の純粋な恋愛観に心を寄せる楽しみに加え、噺に登場する人物の馬鹿馬鹿しさも、人々を魅了し続ける落語の面白さなのかもしれませんね。

そういう意味では、『湯屋番※②』は非常に馬鹿馬鹿しい噺ですね。
勘当された若旦那が仕方なく銭湯で働くことにするんですけど、その理由が女湯が覗けるかも?という、不純な動機なんです。それで、番台に座るのですが、女湯に人がいない…。

結局、がっかりした若旦那が女性にモテる妄想をするっていう、馬鹿馬鹿しいストーリーです。登場人物が持っている調子のいいアホさ加減って、クラスの中の一番アホなやつを誇張した感じなんですよ。
落語って気軽に楽しめるものなので、ぜひ寄席をデートに誘うきっかけにして、足を運んでみてください!

解説コラム ②湯屋番
実家を勘当された若旦那が、居候先も追い出され奉公先の銭湯で働くことに。
そして、堂々と女湯が覗けると番台に座るが、あいにく女湯はガラガラだった。仕方なく妄想をして気を紛らわしているうちに、自分の腕に吸い付いたりして徐々にエスカレート…。
今も昔も恋愛に対する感情が変わらないのと同じように、男のスケベ心もいつの時代も変わらないようです。

▶NEXT:古典落語の恋愛観~②対談 桂枝之進×金原亭杏寿

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